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死後の世界とは

 ある意味「高名な解剖学者である」養老孟氏は、自身の趣味の域を超えた『虫集め』には、多大な労力を使って、現世における智恵を大いに傾注して生きています。が、“あの世”に対する目論見はいい加減であることを放言しています。何故なら、立場上社会的責任という意味で、私ども一般人と違って無責任であってはならないにもかかわらず、自由な失言と放言が繰り返される理由と根拠があるからです。即ち、一身の全知全能には、優劣があるのでしょう。

 これには、自分の出生(しゅっせい)と出自(しゅつじ)が関わっているのかもしれませんが、多分死後には『受勲』を得ることになるのでしょう。分かり切っているためのパフォーマンスかもしれませんが、あまり私などの一般人には、気分のいいものではありません。才があり、階段を上り切った人には、余分なことを言ってもらいたくないという、ある意味「真摯さ」を求めます。飯塚幸三氏のように、過去の業績と位階に拘(こだわ)ったがために晩節(ばんせつ)を汚した言動があったことから、これを望まない人には、分からない内心の葛藤を見せて欲しくはないのです。私が、個人的にですが、日本史の汚辱(おじょく)と言って憚(はばか)らない“応仁の乱”を再現するような人の生き方には、断罪すべき行為を求めないからです。

 確かに、死後の世界観などは現世においては、何の役にも立たないと云われるのでしょうが、宗教には大事な死生観がありますから、もっと深く人生のイロハを突きつめるべきでしょう。