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二流と言われないためには

 私どもは、毎日の生活において色々なつながりと、人への気配りで生きています。しかし、これが一旦狂いだしますと、連鎖的にバランスが崩れてしまい、一度はどうにもならない日々を過ごさなければなりません。これは、酷(ひど)いものです。犯罪者のように扱われ、何も疚(やま)しい所がないにもかかわらず、人目を避けて生きていかなければならない羽目になります。これが、日本的に言う善意の悪心(あくしん)でしょう。西洋のルールを真似て作り上げたのが『法』であるならば、法治主義が全てであるかのように見えて、決して人は過去の罪状を許すことはありません。

 これらを全て承知していますから、上級国民は表では決して不法を行いませんし、高級官僚は出自もさることながら、全ての業績において立派であることを要求されるのです。一度でも刑事犯罪や、民事でも裁判所の門をくぐりますと、世間は当人の全てを許さないでしょう。これが、不寛容な日本社会の特質です。この特質を、更正刑法とか言って口の軽い人らは、社会に出てきたら「もう一度やり直せる」などとお為(ため)ごかしを言って、誤魔化します。

 もう、不寛容な社会への期待はしていないにもかかわらず、です。ですから、先ず二流と言われないためにも、決してルートから足を踏み外すわけにはいかないのです。これが、一流の生き方であって、決して“良い子”の仮面をはがすことも、自らの人生への期待を裏切ることも決してできなくなります。大変でしょうが、人であって人でなくなるのです。