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宗教と生活について

 憲法に保障された「信教の自由」については、議論の分かれるところが多々あって、これだという統一された思考や思念はありません。第二次世界大戦前までの神道による思想統一の弊害があったことにより、甚大な被害と国民生活の塗炭の苦しみを味わわせた過去にかんがみて出てきた考え方なのでしょうが、信じるも、信じないも、各人においてこれまた選択の自由を持っていると思います。

 私生活における日々の暮らしの中で、生起する問題や複雑多岐(たき)な事態に対する自己意識への被害の対処は、直接的には心を強く維持してくれる『宗教』に依存しないではいられないのでしょう。これが、家族を持ったり、親兄弟への浸透によって妨(さまた)げられる考え方もあるのではないかと考えます。これらを超越するのが困難であるように、日々の暮らしの中には、ある程度の浸透による考え方の偏頗(へんぱ)性があるものと思っています。これらを超越するためにも、一家眷属(けんぞく)も親族への介入もあってはならないものと考えています。

 即ち、生活に困窮したり、不慮の事故によって不自由な肢体(したい)になったとかいったことでも、前世迄の因縁が生起され、拘(こだわ)った結果何にでも相当因果関係を主張して止まない宗教家の好む機会を与えてしまうのであって、何も因果関係のないことへの関与となりますので、用心深くなることでしょう。