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年収と給料と実力の違いについて

 私どもは、年齢的にどの世代よりも感覚が鈍いようです。これは、悪口を言うためのコーナーではないので説明しますが、明治・大正・昭和一桁の親の教育で、真面目であること、汗水を流すこと、などが美徳とされて育ってきたからと考えます。良い悪いではなく、人一倍働き、人を許す観念を持つことが、勧善懲悪の世界であることを知らず知らずに植え付けられてきたようです。従って、苦しいほどの努力に耐えたことが善であって、これに耐えきれなかったら悪という概念で括(くく)られてしまいました。

 しかし、複数次の産業革命を経て、才覚の良さで収入を上げることができることに気付いた人が、更なる優越的地位を得ることができるようになってきたことです。表題でも上げましたが、年収と給料は才能ではなく、何処にいるかで決まるという衝撃の事実でしょう。

 自分の努力でも、才覚でもなく、年収や給料を上げることが可能となっていることです。確かに、辛苦(しんく)して新たな分野を作出することを要求される職域や部署もあります。そこにいますと、偶然にでも自らも高待遇や高収益を齎(もたら)してもらえますので、これを称して-セレンディピティ-と言えるかどうかでしょう。

 然しながら、実感としてや、手応えとして、自分が成し遂げたという結果も伴うことが一番と考えます。如何でしょう。