いい意味でも、悪い意味でも、『昭和』という時代がありました。でも、もう取り戻せない、といった“風評”のような言い伝えがあるのも事実です。これには、経済的に高度の発展と、これに伴った各家庭の幸福度があがった結果としての繁栄を、皆が幻想のように享受してきたことだと思っています。
昭和20年08月15日の玉音放送に、内心忸怩たる思いを抱きながらも、ひれ伏して抗った大勢の人たちがいたことをもって、国体が維持され、伝統は護られたという結果を導き出しました。一つしかない命を投げ出して、国を、愛する人を、家族を、かけがえのない人を、護ったという実感があったのでしょう。その反射的効果として、今を忘れるがために、過去を思い出さないがために、我武者羅に働き、後先を考えないで突っ込んで行った時期が、『高度経済成長』という冠であったということでしょうか。
戦後生まれの我々が断定すべき根拠はありません。しかし、憶測や惻隠での思い遣りには、正鵠を射るような近い真実があったかもしれません。他国に与えた影響、自国内での真価に対しての誇りなどは、後進が安易に断定すべき事柄ではないかもしれませんが、敢えて断罪しないでは前に進めないからです。ですから、回避のために「昭和的働きバチ」とならざるを得なかったのかもしれません。