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選択と生き方について

 私どもは、毎日の生活の中でも“ふとしたことから”試(ため)されることが多いようです。毎日同じ道を通っていても、それこそ毎日が違った景色の連続ですので、毎日が同じ景色と思って通ると、不慮の出来事に対して、何もできないという無様な結果となります。

 これは、如何に自分が一切のことに対して“構(かま)えがないか”ということでしょう。後付けで弁解したり、「前もって分かっていたらそんなことは無かった」とか、“言い訳”はなんとでもできます。しかし、その日、その時の出来事は、永遠に二度はこないし、こと改まって出来(しゅったい)することなどはない、というのが現実でしょう。これが、選択と生き方に繋がります。

 私は、宗教心もなければ、無宗教とまではいかない、ただひたすら生きているという“存在”そのものです。これが、良いか悪いかなどは、自身で測(はか)ったこともないし、図(はか)ることに対して意図も何もないという、存立の基盤が無い存在です。そのために、あるがままの自分を見つめることもできますし、考えない自分を晒(さら)すこともできます。これが、私の目の高さの生き様ですから、選択も生き方も同じです。曳(ひ)いては、“生き様”となって再臨(さいりん)してきたようなものです。

 録画撮りとか、映画の採録(さいろく)(=取り直し)とかの場面でもないし、今まさに、その場限りの1回きりの現場で生きています。これが、選択であり、生き方なのでしょう。実に言い訳の多い様(さま)を見ていて感じた今日この頃です。