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生きている実感とは

 確か私が以前に、日清戦争後に兵隊さんが帰国した際に、「脚気」になった人が多かったと聞いた記憶があります。これは、当時の食糧事情や栄養素に対する認識不足があったろうと思っています。しかし、その前の江戸期か明治初期にも大志を抱いて東京に出た人たちに多く見られたという話しも聞きました。飽くまでも伝聞のまた伝聞ですから真偽のほどは分かりません。が、母などからは田舎にあっては脚気など一切なかったと言っていた記憶があります。

 ですから、今現に生きているという実感は、その人のうちに宿る感性そのモノであって、余人の知るところではないでしょう。そのための、これが生きているという『実感』だと言えるためには、人に支えられ、人を助けて、今日一日これをしたという意識と実感でしょう。

 こうしたことが、国の求める納税とか、教育を受けさせる義務とか、勤労する義務、などがついて回るのでしょうが、三大義務の先にあるのが自由に生きるという不定形な生き様でしょう。そして、権利として持ちたいという意志を無碍(むげ)にできない義務を、国も負っているのだと考えています。これが、生きている実感でしょうから、押さえつけられた無味乾燥(むみかんそう)な生き方を強制させられるのは論外でしょう。