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自分史を作ることについて

 人は、少なくとも物心がついてからの生活には、必ず振り返りがあって、それをどのように意識するかを考えるようになります。これが、各当事者の歴史となりますので、当初は考えてもいなかったことへの郷愁が始まります。あんとき、これを、なぜ、などと言いながら、後悔の臍(ほぞ)を噛むことになるのでしょう。決して、後悔が先に立たないということを理解し、思い知ることにもなるのです。

 私は、何百万回という後悔の念を覚えたことでしょうか。しかし、今日まで生を全うできていることへの感謝もあります。そして、過去を振り返らないようにしてもいます。ですから、日記は書かないようにしています。ですが、喩えで言いますと、応仁の乱の時期の経(きょう)覚(がく)や尋(じん)尊(そん)などの日記を常とした寺でいう公的な行事の覚書(おぼえがき)などとは違った記録もしていません。

 更に、歴史の時代考証にも関与していませんし、私の日記が永久に日の目を見ないということも自明ですから、書くことに意識を集中しなければならないこともないのです。即ち、自分史に興味も無いということです。知り合いには、綴りが3年分一緒という日記もあって、昨年や一昨年のことを直ぐに見返すことができる日記を書いておられる人がいます。関心しきりですが、真似をしようとは思わないですね。