経営者も従事者もともにどうぞ

お困りのことで、コンサルティングをお受け致します

幸福度について

 私を含む各人の“幸福度”は、それぞれの生まれや環境で決まるものと言えます。何故なら、私以外の他人の幸福度を理解することは、私にとって至難の業でしょうから。これを理解するには、50年どころか、100年余もお互いに立てた誓いで生きてみないと分からないでしょう。

 従って、自分が主張する幸福の観念を出さずにいて、出した分だけを予(よ)幅(はば)のある幸福と理解することで、お互いの距離感を縮めることが可能と考えます。そのためには、いい加減な理解度も不必要だし、深く立ち入って解明することへも、躊躇を感じてしまいます。

 この理解度を上げることへの渇望(かつぼう)には、自身でも見えない努力が必須でしょうし、これがあったからと言って必ずしも実現することでもありません。中庸(ちゅうよう)がもっとも大事でしょうし、幼いころからの仲間でも、理解のいかない関係であっても、究極を求めないという等距離感を維持しなければいけないでしょう。これが全てに関係してきて、“幸福度”が満たされるということになります。竹馬の友という関係は、その時代に作られた関係であって、1000年も下りますと分からなくなります。そして、1500年も経過しますと、意味合いさえも理解できなくなります。各時代にあって、ずれが生じたなら一切が無くなるという双方向の向き合い方です。

 この究極の関係である「等距離」は、全ての原因を吹っ切ってくれます。幸福度は、意識として高いと利益と考え、低いと損失と理解する私固有の損得勘定の発露(はつろ)です。