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心がめげそうなときは

 一日のうちに、多い時は何度かありますが、心が締め付けられるような悲しみです。「胸キュン」などは絶えて無くなりましたが、毎日のニュースでも悲しい出来事がありましたら、内なる自分も悲しくなります。これは、善行(ぜんぎょう)でもないようです。僧侶も神父も、毎日のように鍛錬・懺悔しても足りないようですから、より以上に纏まって苦行を強いているようです。

 これに引き換え、私は枕の具合が悪ければ直すくらいで、他には何もしていません。これは、頗(すこぶ)る生き方に対しての安楽な手段だろうと考えるからです。余人は、知りません。日々修行に明け暮れる人もいるでしょうし、怠惰な中にも得度(とくど)する人もいるでしょう。初対面から、印象が悪いのは偏に自分の責任ですから、他人の言動に反応するものでもありません。

 大きな理(ことわり)の中で、自分一人ではどうにもできないことはあります。これに、その都度落ち込んでいましたら、毎日が暮らせません。しかし、これで納得しているわけでもないのですが、「どうにもならない、所業」に対しての納得は、窪みに押し込めているのかもしれません。

 一日のうちに何度も「心がめげそうに」なる日もあります。浮いた気分の時が、一生続かないか、と願う日もあります。結局、我儘な自分を扱いかねていても良いのではないでしょうか。