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理屈と体験の違いについて

 私が、学窓で学んだ時期は、しっかり頭で考えろ、経験を積め、何度も繰り返せ、行動は後からでいい、というような学びであったような気がしています。60年余の時間が経過しますと、変わってくるものです。何故なら、“工夫”という手段・方法があることを理解した人は、学んだというより、“覚えた”という感覚的な意味合いがあるようです。

 どんなに素晴らしい陶芸でも彫刻でも、学んだだけでは本人のものではないでしょう。同じものを作陶(さくとう)したり、真似をして書き上げたりしているうちに、思わず「目から鱗が落ちる」ということでしょう。理屈=深度、体験=感性でしょうから、突発的な思い付きが新しいモノに行き着くということでしょう。従前においても、偶然の産物が全く新しいカタチを成すものであったということが多かった様な気がしています。結果というか究極は、同じでした。

 ですから、学窓で学んだこと、実社会で学んだこと、色模様の違いはあっても、綯(な)い交(ま)ぜになって新しいモノやコトが為せるということになるのでしょう。

 すべてが感性で、ということではないでしょうから、基礎的な部分はしっかりと学び、その延長線上にあるモノが、自分の想像力であることを認識することでしょう。

 物理学や統計学などは、複数の経験則が裏付けになるのでしょうが、新しい感覚は心的外傷も経験の一つになるからかもしれません。誤りかもしれませんでしょう。