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過去と他人は変えられないとは

 「まなび」とは、何処にいても、どんな機会でも、可能であるということが前提ですので、学びを「学窓」という限定的な場所に限ってはいけないでしょう。また本来の学びは、社会に出て役に立つとか、実務では大いに使えるということが(建前上の)前提ですから、明治5年に学制ができて150年以上経過して、大いに役立ったことも事実でしょう。しかし現在、目的が『学歴』ということに集約されてしまい、その結果が学歴・学位がほぼ各人の人生を決定してしまっているような気がしています。

 これでは、本来《論語 学而編(がくじへん)-「学びて時に之これを習う、亦(また)楽しからずや」》と説いた孔子の本心には、ほど遠い結果となってしまうでしょう。そのくらい、学ぶということと、知識・学識をもって世の中に役に立つということの乖離(かいり)が甚(はなは)だしい時には、不平・不満が充満することになるでしょう。人が多数存在して、誰よりも先に幸せを求めたいと考えたら、その頭脳で我先に幸福追求権を行使します。してはならないという意味ではなく、先後で言えば目端の利く人が廻りに目配りしてくれるのが良いのではないでしょうか。過ぎた事実は固定して不変ですし、況(ま)してや他人の考え方を変えるのも容易ではないでしょうから、『ファン』を作ることにしたら良いのではないでしょうか。自(おの)ずから蹊(けい)(=小道(こみち))を成(な)すとすれば、過去も他人も変化に富むかもしれません。決して変えられないことはないでしょう。