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朋(とも)有(あ)り遠方より来(きた)る とは

 私が、最初に古文・漢文を学んだ時(⇒55年以上も前ですが・・・)に覚えた感覚には、地に足のつかない浮ついた記憶があります。これには理由があって、教師という存在が多少『うざったく』感じていた時期でもあったからでしょう。小学校しか出ていない親でも、喩(たと)えとして『古語』や『名句』が出ていましたことに、違和感を感じていました頃です。

 何かにつけて口うるさく言われることに、多少辟易(へきえき)していたころだったと記憶いしています。それでも校長以下、担任の教師迄同じような例文を出してきて、これまた同じようなことを言って平然としていることに、輪をかけて異論がありました。

 しかし、自分が『友』と思っていた人でも、時期が来ましたら、あっけなく分かれて行ってしまったことに、一抹の不安と絶望を感じていました。何故なら、学窓での付き合いは一生のモノと考えていましたから、2年に一度のクラス替えでも、この付き合いは一生のもんだと考えていた自分の幼さを呪(のろ)ったものでした。正に、当時は『漢文』などということさえも分からずに、暗記したこととを暗唱していたに過ぎないことわざ程度にしか考えていませんでした。

 後年、役に立った諺(ことわざ)もありましたし、法(ほう)諺(げん)という言葉も知りました。

 しかし、掲題の「朋(とも)有(あ)り遠方より来(きた)る」ということは実現しませんでした。