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効率と無駄について

 私の場合は、「効率的」ということに対しては、粘着質ではないような気がしています。どんなモノにでもとって変えられるし、代替物に違和感を持ちません。適材適所であることが自身に対しても至上命令でもありませんから、在(あ)ってほしいとか、ねばならないという前提で、モノの価値観を決定していることもありません。

 確かに業務では、“効率”とか“無駄を省く”などは、至上命題なのでしょうが、私生活での無駄や無意味は数限りなくあります。私にとっては、この無駄の方が、効率がいいのです。

 過去には、「無用の用」とかいう言葉があって、その価値観を認める意識がいろんな場面でありました。緩急で言いますと、急(いそ)がず、急(せ)かせず、腰を据(す)えて、多方面からの熟考・熟慮などを大切にと学んだものでした。しかしながら、タブレットスマートフォンが趨勢を占めますと、調べもの、関連性などは直ぐにでも答えが出ますから、効率的でいいますと、30年以上前からは何十倍もの時間短縮が可能になりました。しかし、心がざわついて仕方がありません。何故かは分かりませんが、ゆったりとした空間や時間で考慮の隙間(すきま)を求めているような気がするからです。学窓においても、実社会においても、非効率や無駄は企業の望むところではないのでしょうが、これも併せて無いと、人間関係が先鋭的になって、衝突が多くなるでしょう。