経営者も従事者もともにどうぞ

お困りのことで、コンサルティングをお受け致します

自分が試されたとは

 ひとは、過去の経験則で物知りになるとか、博識であると評価されるのでしょうが、その場、その時限りの『場面』では、答えられないと言った状況に出くわすときがあります。そういった時に、難なく答えられる、当たり前のように出てくる、といった鍛錬(たんれん)高い生き方の出来る人は、極めて少ないようです。ちょっと身近過ぎますので、読み飛ばしてくださっても結構です。

 部下に難しい仕事を押し付けたり、責任を回避したり、遠回しに他者の責任にしたりして、腹の内は分かっていながら答えないと言った、責任のある立場の人を数多く見てきました。反社会的な人の前では何も言わないでおいて、一難が去ってからは「あんときは、こうだったから」とか言って、言い訳し、更に誤魔化すような上司ばかり見てきましたので、憤慨(ふんがい)して仕方がなかった記憶があります。間違いや、過失は誰しもありますから、身の所在は其処(そこ)です。

 何時の時代も、何時の時でも、自分が試されているのだという意識でいませんと、後付けの言い訳や誤魔化しは物笑いの種でしょう。実在の人に対しては、今は繋がりがありませんから、何とでも言えるのでしょうが、言っても一銭の価値も無いことが明白ですから、言わないでおきましょう。何時も自分自身が試されていますので、「自分ならどうする」とか「自分はこうだ」などは、常に言行一致でないといけないでしょう。