何時の世も、「競争」が蔓延(はびこ)っていますので、勝ったか、負けたかは重要な関心事であって、これを除いては会話も無くなるケースがあります。その昔喫煙所では打ち解ける会話ではなく、誰かのうわさ話や悪口が大いに叩かれたものです。しかし、他人の悪口を言いふらすことに何の意味があるのかさえも分からないままにされているケースがほとんどです。
諸外国は知りませんが、日本国内ではほとんどの会話がそうであったように記憶しています。これは、お互いに腹の内を、胸の内を明かさないでいて、自分の境遇を知られないようにするためのものであったような気がしています。しかし、これが出世競争とは何ら関係のないことであったようでもありますし、大いに関係があったようでもあります。
経営層を除いて大抵、38年から42年のサラリーマン人生で -今は、もっと伸びて45年程度になるようですが- 何が悲しいと言って、動機に差をつけられたりすることが一番の悲しい出来事でしたでしょう。『俺の人生は、何だったんだ』と嘆く人もいたようです。
ですから、勝ち組とか負け組とかは、現に昔もあったのでしょうが、これを気取られないようにすることで、派閥や系列を超えた付き合いができたような気もしますし、一切派閥に属さないで出世も栄達も無視していましたら、勤務先にさえいられなかったでしょう。ほとんどは、定年退職まで居座っていたようですが、転職でほほ笑んだ人、苦い水を飲んだ人と様々でした。