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民族と国家の限界について

 グローバルな考え方、グローバルな交流が言われていますが、国家間や民族間でのものの考え方や方向性が違っている場合に、どのように国家間で釣り合いを取って行ったらいいのかを考えて、結局は単一の国家や民族においての利害が優先となりますので、こういった地球規模での賛同や利害の一致は、不可能とは言わないまでも、本当に困難だと考えています。

 気候・風土が違っていて、ものの考え方、行動様式なども違ってきていますから、同一レベルで、同一の足並みをそろえるという訳にはいかないでしょう。国内においても利害の対立がありますし、最低の人数に合わせることも、最大の賛意に合わせることも難しいことがあります。古(いにしえ)の昔から、強権が発動されたり、共和とか民主が言われてきましたのも頷(うなず)けます。

 これらを総合して、団体交渉とか、個人の利害を調整してきていました。その昔、手塚治虫(=故人、敬称略)が書いた鉄腕アトムという漫画がありました。これは、地球規模で仲良く手をつないで困難や地球外の場所に飛び出すというような規模にまでなろうとしたのですが、これは各国の利害が絡んで本当に難しかった記憶があります。

 私どもは、地球が狭くなっていることを感じてはいます。大航海時代とは違って、フードロスとか、モッタイナイを、共通語にしようとかの考えがまとまることはないと思います。そうしませんと、人と人との争いが、動物的で、且つ原始に戻るでしょう。