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天才の定義と違和感について

 私自身は、特に変わったところが無かったような気がしていますので、凡人であることは意識しています。しかし、何と多くの民(たみ)草(くさ)が自己を『天才』と誤信しているかについては、△△学院中学校・高等学校を優秀な成績で卒業して、〇〇大学医学部を出ていながら、会ったその日にある女性と性行為を行った結果、当該女性が「妊娠」したことに対して-「中絶」を勧めた-というより、強制であった報道がありました。こうした報道そのものが、異常です。

 勉強とか資格に対する『名誉欲?』は、あったのかもしれませんが、人との交流、即ち、相手がどのような感情を持っているのか、自分に対してどう思っているのか、を無視しているような付き合いは、相手を蔑ろにすることであって、ひととひととの交流では有り得ないような結果を齎すというとの報道があったようです。〇〇大学は、権力と羨望の象徴です。ですから、『天才』との評価を受ける人は何をしても良いという定義や価値観があるとしたら問題です。

 約4年前の報道でしたが、後味の悪い思いをした記憶があります。人が人になるためには、沢山のことを学び、傷つき、愚弄し、愚弄され、自己の立ち位置を確認しながらの生き様と言えるのではないかと考えるのです。が、廻りを含めて考えていない結果に対しては困惑します。

 〇〇大学医学部卒業のユーチューバーでタレントだそうです。こうした流れの中で逞しく生きるのが現状でしたら、従前と何も変わらない睥睨(へいげい)した他人評価の最たるモノでしょう。