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格差が見えることへの可否とは

 私は、自分が努力も根性も僅少なので、底辺という『層』でいいやと言った思考になっています。これを、やっかみとかいたちっぺとか言う人もいるのでしょうが、決した負け惜しみでも何でもないのです。大いに儲けたければ儲ければいいし、ガツガツ稼ぎたければ、稼げばいいというのが、私の“プータロー”的生き方です。最初から負け組を自認して公開しているわけではないのですが、私の“何となく”という生き方に合っているのです。こう言ったことを言いますと、名目四民平等となった明治期以降、誰が一所懸命になって死にものぐるいで働いてきたか、を先祖に対して申し訳が立たない、などと他人の性にする人たちも出てきます。

 しかし、現状も2,000万~4,000万の年収の人たちがいて、この人たちは働き、余暇を楽しみ、子どもたちにも同じような現象を作出しようとレールを敷いてきています。これらのことを知らない訳ではないし、納税者らの顔ぶれを見ていても分かります。人は、見な顔が違ったように、考え方も生き様も違いますから、これはこれで格差を容認していることになります。国会に陳情したり、ネットに不平不満を書いて出したりしても、現状は変わりません。この格差の可視化がもっと顕著になりますから、不満でしたら戦えばいいし、なろうことなら対極にある立場で正当性を主張すれば良いと考えます。今後も従前も何も変わりませんから、これを視ないで来た人たちが愕然としないよう注記(=注意喚起)したわけです。