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不甲斐なさの背景とは

 これは、私に限ったことではないかもしれません。が、ずっと古い話しでしたら「男なら」「男として」などという謂い訳があった記憶があります。これは、不甲斐なさと同列に数えられるかどうかは分かりませんが、同権とか平等とかの意識下では非常に問題となる言葉であろうと考えます。何故なら、努力や勇気というモノが誰にでもあって当たり前かどうかは、故事や警句に云われることであって、慣用句ではなくなってきているからでしょう。

 人が何かをした際に、結果として評価が低かったとか、評価の対象にもならなかったということが、自尊心を傷つけたり、他者をして劣等感を醸し出させる行為であるとしたら、基本的に治(なお)すべきと思っています。

 また、不甲斐なさは優越感では決して出てこない意識であって、何かをした際に負けたとか、勝てないとかの劣等意識のなせる業(わざ)でもあるからでしょう。ですから、この意識は捨ててはいけないし、出し過ぎもいけないと思っています。しかし、何をするにしても、ジェンダーや過剰な意識とは違って、自分なりの意気込みでできましたら、幸いです。

 こうした不甲斐なさの背景にあります、自己肯定感を高めて、自尊心を高みにもっていくことを勧めます。