私たち世代は、実社会に出てからは働くことが当たり前であったのですが、今は働きたくても働く機会や場所が狭まってきている感があります。これは、第1次産業革命から続いてきた労働に対する価値観の変遷も含まれてはいますが、これだけではなく“富と労働の種類の偏在化”にも影響を与えてきているからです。何時の世も、突出して収入を得られる人には“智恵”があり、その他大勢は只管(ひたすら)働くことで糊口(ここう)を凌(しの)ぐことしかできなかったという結果になりました。
これは、社会実相(じっそう)の変遷とともに、労働に対する価値意識や価値観が変化して、従前の労働への感情移入は違ったものになったからです。ジョブ型・成果主義・高額報酬制度・人工知能とで、従前とは労働環境が全く変わりました。これが、第二次世界大戦後の世界観の変化とともに、労働への意欲も、価値観も違ったモノになってきて、その延長が金銭的評価と労働の対価が合算されてきたことです。それまでは、「平均的な人間の補充が山ほどあった」のですが、日本では1億2千600万人までの人口が、2010年を境に減少に転じて、2070年には8,700万人にまで減少することになると予想されることです。これへの対処として、人口の減少を人が減っても困らなくする技術、人が不要な機械化への転換を実現することになります。各人の才には幅があって、高度の価値に耐えられる階層と、皆とおなじことで収入を得て生計を維持することに終始する“群”があるという厳粛な事実を認識しましょう。