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君主論について

 私が、『歴史』ということを意識し始めたのは、中学での社会科の時間です。これには訳があって、或る時「人は、何処(どこ)から来たのかな」という素朴な疑問を抱いた時に、しっかりと考えてくれたのが、数学の教師であったからです。しかし、その内容は覚えていません。

 国語でも社会でもない、数学であったということに、偶然性を感じました。その人は、教師としての必要な単位を取っていなかったのか、夏休みを利用して単位取得のために、学校に行っていたようです。そのために、謙虚を絵にかいたような慎ましやかな発言の人でした。廻りが、“君主・国主の延長にあるような意識”の人たちが、有無を言わせずゲンコツとビンタの常習犯であったのに比べて、よく話を聞いてくれました。回答をくれはしませんでしたが、私の話をよく聞いてくれました。後年、同級生らに話を聞いても、同じような回答でした。

 私が、高校の時に接した「マキャベリ」と「君主論」には、非常に興味が湧いた記憶があります。私自身は、学問という意味での勉学は、全く好きにはなれませんでしたが、“統治”や“善政”ということには、大いに関心がありました。正に、君主・国主が如何に正しくあるべきか、君主の縁者がそれを補佐するのは当たり前、と言った感覚が未だに忘れることができません。ピラミッド型の社会統治の体制において、信のおける君主・国主が居ましたら、これに勝るモノはないでしょうから、未だに探し続けています。これが、私の(身近な)君主論です。