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メモの有無と功罪について

 過去においては、メモの上手な人こそ成績が良かったような記憶があります。これは、振り返りや見返しなどで、短時間で手際よく、記憶を喚起できるのがメモだからだと考えます。それはそれで当たっているのですが、私自身は過去に一度もメモを取った記憶がありません。なぜなら、環境と雰囲気で、可能な限りその場限りで覚えることにしていたからです。

 ですから、筆記具もなければ物理的な道具も無い場所でも、頭に叩き込むという手法を唯一取ってきました。これは、机上での成績が良くはないのですが、あらゆる場面でのその他大勢との現場での確執では群を抜くことを知っていたからでしょう。これには理由があって、メモを取る人は、学級では何でも平均点以上を取れ上位を占めていたことです。しかし、教室における成績の良さが現実に点数を稼げるものではありません。実社会に出ても同じです。回答の無い業務での諮問(しもん)や試練は、その場限りの答えが必須です。これがありませんと、次とか・あの時とかは、通用しないからです。文系の頭で、数理的解析を要求されないことに対しての答えは、何でもありです。その場その場が答えの連続ですから、如何に速やかに、手際よく、相手や周囲の心を掴んで離さないかです。小難(こむずか)しい計算は、“富岳(ふがく)”に任せれば良いことであって、相手の心をつかむには数式の答えではないことを、理解すべきということに尽きるでしょう。