経営者も従事者もともにどうぞ

お困りのことで、コンサルティングをお受け致します

差別と偏見について

 私が、特に意識して考えたり、諸外国での『差別』などをマスコミ報道で観ていますと、どうしても遣り切れない思いを抱きます。これには、3度の食事にありつけ、暖かい布団で寝ることのできている、私には理解できないような場面形成があるからでしょう。

 何故、疑問を持ったり、懐疑的になること避けなければならないかを、十分な根拠を知らないでいることに対しても、疑念を持たなければならないことへの惜別(せきべつ)の想いです。

 日常での、服装や持ち物のことから、学問への興味の持ち方まで、全てに亙(わた)って『比べる』ということからも、差別の原因になります。何故か。私自身が持っている自己以外の全ての人に対する嫉妬や偏見に依って来る想いではないでしょうか。

 相手や廻りに対する思いやりは、必ずしも平等性を具現化しません。その昔、言われたことが競争心を煽(あお)ったことで問題となって、子ども同士の慮外(りょがい)の差別を生むから、“競争を失くす”という美名(びめい)のもとに、体育実技における競争を失くしたり、勉学でも順位を無くすという、極端な平等を意識し始めたら、却って混乱したようです。学問への興味・関心と、人と人が競争することへの価値観は、全く次元の違った問題なのですが、為政者にとっては、自分らの足元を脅(おびや)かされない限り、一切の介入を避けます。が、足元を揺るがす脅威(きょうい)については、初期の段階から『芽をつむ』という行為に出ます。これでは、差別や偏見は無くならないでしょう。