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知と偏見について

私が生まれ育った地域での「拠り所」は、慣習・習俗でした。宗教については、仏教であることは明白で、真言宗(しんごんしゅう)豊山派(ぶざんは)と両親も言っていましたが、実際内容的なことは分かりません。親の言うことを聞いて、仏壇に手を合わせ、墓参りをするというのが慣例でした。

 今でも、「なぜか」は分かりません。父の宗教に対する関心と、母の宗教に対する意識は違っていたような気がします。しかし、具体的に、どこが・どうという根拠は分かりませんでした。

 長じて、宗教の一端に触れて中身を知りたいと考えたり、諸先輩方の宗教に対する関心が何処にあるのかを知りたいと考えたことはあります。しかし、キリスト教イスラム教についての関心事が、大いにあったという記憶はありません。

 考えてみましたのは、学問や知識に対する向学心とは、宗教に対するモノの見方・考え方についての延長にあるのだろうという見方です。知には足るという満足の意識、偏見は自己の依って立つ行動規範がどのような位置を指し示すのかを理解したときです。

 皆が偏った考え方、理解の及ばない部分についての独断の考え方については、不偏不党の理解をしていきたいという理解です。

 これが、誰からも非難されない、誰に対しても論難することにならない体幹と信じています。