物心ついてから、何度も何度も言われてきたことですが、「おまえは、可愛かったよ。素直で、良い子だった(・・・)なぁ」という言葉です。これが、頭の中に浸透(しんとう)してきて、そう思わざるを言えない環境にあった人は、後年余計に感じていることと、思わざるを言えないものです。
確かに、生まれてきたときにはどんな子だったのかは、知る由もありませんが、だんだんと“垢(あか)” が纏(まと)わりつき、動きも緩慢(かんまん)になり、更には考えも見方も鈍感になることでした。
良くも、悪くも、“言われ続けてきました言葉”には、重厚な悟りがあるのでしょう。私は、家族でも一国の纏まりでも、長となるべき人の“経営手腕”が大きいものと考えていますから、その手法や実行力が秀(ひい)でていませんと、家庭も国家も混乱を免れません。
ですから、経験則でも、演繹(えんえき)的手法も、どちらも十分に持った人が、他人の幸せを考えるに必要な人材と考えています。自己の利益や保身だけを考えるような人には、政治や国の方向性を決定する重要案件には携わってほしくはないですね。“経営”は、生(なま)易(やさ)しいことではなりませんし、自分が習い覚えた“魂(たましい)”は、幾つになりましても、自覚して持っていてほしいものです。これも経験則ですが、親や廻りから言われてきて正しかったのが、「三つ子の魂」です。これは、矢張りというように納得のできる言い伝えと感じています。幾つになろうとも、確立した事績を含めまして肝要(かんよう)な性質でしょう。100までも持ちたい意識です。