人それぞれに、向き不向きと、運否天賦(うんぷてんぷ)があります。これは天性のものですから、どうにもならないという理解です。しかし、一部にはそれらしい生き方でいれば、倣(なら)う様になると言った人がいました。しかし、自身の過去を振り返ってみても、判断や選択は性格が大きく左右していたようです。廻りがどう言っても聞かない人もいますし、廻りの意見に大きく左右される人もいます。そうした中で、集約された意見があったかのように装(よそお)って、実は自己の主張を通(とお)す人もいるわけです。
常に悲観論を展開し、人生が真っ当ではないと言った結論を導く人も、どのような曲折があっても、結論が正しいような導きを得る人もいますから、偏(ひとえ)に幸運を持った人の引き寄せる運否天賦には、必ず希望に導かれているようです。持って生まれた幸運児は必ずいます。反対に、常に貧乏くじを引くような結論を出す人もいます。
同じような環境でも、兄弟姉妹でさえ結論も考え方も違っていますので、極論はできませんが、累代(るいだい)の家系からの“血統”と考えざるを得ません。血は、争えません。
ですから、幸運児は希望の有る未来を齎(もたら)しますので、悲観論の人は束になって掛かっても敵(かな)わないでしょう。