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友好ということについて

 個人間の付き合いでも、国家間の付き合いでも、「友好」というお互いの関係が良好なモノであれば、友情でも、貿易・観光でもすんなりと受け入れやすいのでしょう。が、国家の主義や開放度が違ってきますと、知的好奇心の深度、観光や技術でも露出されないように監視の眼を厳しくすることがあるものです。厳しい所では、逮捕・拘留や懲役・死刑もあり得ます。

 こうしたあるべき姿からの乖離となる変異的なことは、法と正義の観点から言いますと、国際的には同じ結果にならなければならない環境が、見方だけでガラッと違ってきます。何故なら、頂点にある目的そのものが違ってくるからです。友好こそが、究極の手立てでしょう。

 国家の秘密は、国民にも開放しませんから、国民自体も知らないことが圧倒的に多く、国民の内心を満足させないので、生国(しょうごく)を捨てるという選択・結果にもなります。この国籍離脱という行為そのものが、当たり前のようにあるべきが、通常民主主義国家以外では有り得ません。が、その民主主義にはあり得ます。生国を捨てるという行為には、その国の主義により生死を分ける困難を伴いますので、自由な発言と更なる自由な行動は付き従いません。一生、労働という収容所での苦役とか、場合によっては死という選択もあり得ますので、生まれ落ちた結果が生死を分けることになるのは、何とも不条理であろうと思っています。