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茂木健一郎氏の当然の「勇気」について

 過去の報道ですが、ひとが当たり前の行動をとりたいと願ったときに、廻りの人からの制約や規則という枠で自己の言動が制約されましたら面白くないでしょう。そして、これが反発となって表れることにもなります。今回に限って言いますと、「卒業」という節目の行事に、何かしたいという意志表示には、極端でも本人の意思の確認は必要だったと考えます。

 そうしませんと、本人が今まで学んだ中でも、民族に関わる表現の無意味さを何処で発散したら良いのかさえも分からなくなります。少しの時間、少しの余裕、相手への敬意、周囲への配慮がありましたら、こんな騒ぎにはならなかったということでしょう。

 僅かな間(ま)ですが、①その髪型は何を表したいの、②どのような根拠があるの、③校則というのがあるが、⑨今日は卒業式だから、等々。僅か4~5分で済む問答だったと思います。

 この手間を省いたがために混乱を来たし、理解のいかない説明になったり、世間に対する騒動の引き金になったりしたのです。少なくとも、「本人が何をしたかったのか」を確認しても良かったのではないでしょうか。『校則』という歴史は、常日頃話して聞かせていませんと、3年間一度も聞く機会も、学ぶ機会も無く過ごしてしまいます。手帳を渡されても見ませんでしょう。少なくとも校長以下何十人という教職にある人たちの誰もが『異議』を留めなかったということが問題であり、茂木健一郎氏に言われることになったとしても止むを得ません。