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お墓の有無について

 私個人は、「墓=墓石⇒供養」を要求はしません。何故なら、専業稲作農家の二男として出生して、他所に出ましたので、その必要性を感じていないからです。長男や長女で、家の後始末をしなければならない立場の人たちは大変だろうと想像します。困難と移り変わる世の中に対処していかなければならないからです。私の持論である“経済構造の変化が全てを変える”という認識は変わりませんので、現今がその最中だと言えるからです。

 第4次から5次への産業革命の途次ですから、今後も予断を許さないのでしょうが、きな臭くなってきた世界情勢には、戦いの火ぶたが切られてくる可能性が高いと予想されます。

 また、墓に対する想い入れは子どもの頃のような意識はありません。過去を思い返しますと、大般若=釈迦の誕生、墓参り=盂蘭盆、春と秋の彼岸などが思い起こされますが、自分の中ではこれと言って確かな記憶はありません。母が先祖供養で50年忌をしたことが思い出されますが、これ以降親や先祖の供養で呼ばれた記憶がありませんので、疎遠になったのでしょう。

 墓は、その人の生きた証し、と価値に対する称賛ではないかと思った時期もありますが、今は遠い過去の記憶となりました。日本中や世界中の埋葬に対する習慣や意識が分かりませんので、断定はできませんが、故人を敬うのは礼儀ではあるのでしょうが、本人との直接の結びつきが無い限り、遠くなるのは当たり前かもしれません。桜桃忌や河童忌や群青(ぐんじょう)忌などでの花を手向(たむ)けるのとは違って、他人に見られても気恥ずかしい限りでしょう。