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日露戦争の私(わたし)的評価について

 私には勿論、「日露戦争」は歴史です。祖父や大叔父などからは記憶の限り、僅(わず)かな部分を聞いたような気もしています。ただ、私の先祖は士官・佐官・将官の類(たぐい)ではありませんでしたから、又聞きで一徴収兵として戦いの一端を喧伝(けんでん)した気がしてなりません。

 私が、日露戦役の正当性を言うには、勉強が足りませんし、想像も不確かになることでしょう。更には、毎年8月の盂蘭盆(うらぼん)には先祖の墓参りをしましたが、他の墓石の頭には『☆』が躍(おど)っていたようです。引き続き毎夏の墓参りをしても、一等兵曹長、軍曹などの官位がついていましたが、第二次世界大戦後には、軍隊がありませんので、階級の偉さが分かりません。ただ、陸軍では、佐官以上の「彫(ほり)」の入った墓石はありませんでした。

 長じて、日露戦争の意義とか日韓の問題などで議論の中に入っていきますと、不勉強の私などには、その議論に入って行くだけの資料の蓄積がありませんでしたので、議論白熱などということにもなりませんでした。しかし、日常の倫理・道徳と大国の論理は、乖離(かいり)しています。

 なお、生家近くにありました馬頭(ばとう)観音(かんのん)や墓石の☆を見ますと、戦った人たちも含めて、後世の私どもが何を評価すべきかが、今ひとつ分からないままになっています。何故かと言いますと、2022年の2月に始まった、ロシアのウクライナへの侵略が、どういった真因と根拠から戦端が開かれたのか分からないままになっているからです。