経営者も従事者もともにどうぞ

お困りのことで、コンサルティングをお受け致します

会話のネタに興味を持たせるかどうかについて

 通常の会話において、私どもは仲良しとか軽口が利かれるような関係を持ちたいので、自分にとっては好かれたいとか、廻りには好印象でいたいとかの背景があります。これらについては、自尊心や自己優位の立場の強調もあります。

 しかし、他人でも廻りでも、そんなに生易しく付き合いをしてくれる人たちばかりとは限りません。何故なら、隣近所の付き合いでも、50年前、60年前は、お互いに見栄の張り通しだった時もあります。その結果として、周囲に壁を設けて内部を見られないとか、家族の状況を知られないための工夫として、マンションという密な空間を求めるようになりました。

 これは、お互いに干渉されたくないといった意味合いばかりではなく、自己の内心的な領域にまでは入ってきてほしくないために、敢えて知られたくない空間を作り出すということを積極的にしてきたのです。これらは、会話のネタを深堀しない工夫かもしれません。

 良いか悪いかではなく、触られたくない部分の増大と、個人の領域に対する稠密(ちゅうみつ)性(せい)の増大が齎(もたら)した結果、通り一遍の付き合い普遍化したからでしょう。連帯とか共同とかの社会関係が廃(すた)れた結果ですから已むを得ないのでしょうが、「村八分」という連帯のことばにも意味をなさなくなってきています。大事なことは、個の権利の尊重という名の個性の喪失という社会の進化かもしれません。連帯も個性も、全ては興味・関心の的(まと)である会話のネタにつきます。