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恥というブレーキとは

 廻りや親などに、子どものころから言われてきました「日本は、恥を知る文化」ということを、受け手としての私らは何時も聞かされてきました。これには、相応の根拠があって、身の振る舞いを綺麗に、そして慎ましやかであることが、文化そのものであるということに、『誇り』を持ってきたというところからでしょう。

 何をするにも、「恥」という観念が踏みとどまる一歩となっているのでしょう。これがあるために、善悪の善を最大限に生かし、悪を最小限に抑えるという、「躾」が当たり前でした。これがあるために、他人のモノを盗む行為を恥としてきたのでしょう。

 殺人や強盗に対しては、一家眷属をも交えて連帯責任という観念が当たり前であったようです。バレたら仕方がないとか、バレなければ何をしてもいいとかの観念は、善悪を超えたものですので、あってはならない諸悪行であることは間違いないでしょう。

 一人でも多くの人が、他人を思いやり、困難な状況にありましたら、救ってあげるという無償の善行に繋がります。寄付が少ないとはいえ、善行で救うという無名の行為には、負担にならないで済むだけ気軽にできるという行為です。そのためにも、恥という文化は無くしてはならないでしょうし、諸外国における“バレたら、仕方ない”などという安易な行動に走らないことです。この恥というブレーキが、その人の人格を構成するモノだと考えます。