2025・01・05=Ⅰ
あらゆる意味で、相互かその他大勢かは別に、箸(はし)の上げ下げから全ての行為に対しても、本人以上に意味がある事柄が全てです。当該人が意識していないだけで、廻りから見ても意味ある言動であることを意識すべきです。これらの諸行為が、嫌味になったり、感謝の対象になったりして、当人の評価に繋がったりしましたら、結果オーライということにもなると思っています。反対に、全てが台無しになるケースもあるからです。
過去には、初めて会う人との次の機会は、押しつけにならず、かといって物足りなさでもない、興味・関心を持たれることが自己の業務に繋がるということを教えてもらいました。
何故なら、日本国内にいる年収1億円以上の人たちの思考を考えてみなさいと言われても、自分が年収400万円でしたら、想像もつかないでしょう。遜(へりくだ)って言っているわけではなく、“想像もつかない相手との取引は不可能”だと指摘しているのです。余裕もものの考え方も、全く違っています。生活のベースも違うのですから、行動様式も違って当たり前です。
しかし、自分にとっての邂逅(かいこう)は、ビジネスチャンスでもあるのですから、相手に何としても次を意識してもらうことが全てです。これが無理なくできて初めて、1億円プレーヤーとの相互交流ができると考えます。これが、即ち“気づき”なのです。身の丈の上下は当たり前のようにしてあります。これを払拭するための前提が、対等という意識なのです。