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インパール作戦の記憶について

 私の母方の伯父に、太平洋戦争に駆り出され、大日本帝国の命令でビルマ(=現・ミヤンマー)からインドへの強行作戦が行われた際に従軍した人がいました。今は、とうに物故していないのですが、若き頃には優秀で将来を嘱望された人だったようです。現に、伯父の実父も出征には大反対でしたが、軍の命令ですから有無を言わさずに戦地に行ったようです。その際、表立っては言いませんでしたが、伯父本人に実父は『生きて帰って来いよ』と念押ししたようです。

 日清・日露の両戦争に勝利した帝国陸軍は、どんな作戦でも必ず勝てると思い込んでいたようで、インパール作戦も絵にかいた餅で実態が伴っていなかったにもかかわらず、当時派閥が違ったテクノクラート東条英機も異議を差しはさまなかったといういわくつきの作戦でした。

 廻りは無理筋であって、且つ無謀な作戦であったと弁解したようですが、実行に移され、8万余の一兵卒の約3分の1は飢えと病で死んだようでした。私の伯父も飢えとマラリアに苦しみ、何処を歩いたか分からないままに、帰還したということです。生水を飲み、動く物なら何でも口にし、生還したときには、骨と皮だけの亡霊であったと言います。指揮官や参謀本部の無茶が悲惨な結末を迎えても、一切の謝罪も無かった当時の上層部の無責任さに、憤りを覚えたものです。伯父本人は、その後マラリアの後遺症に苦しみ、酒に紛らわしたという話しです。遠い記憶ですが、世界の諸国では違った形での戦争があり、続いていることに胸を痛めます。