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セレンディピティⅡ

 以前にもお話ししましたが、『幸運』というのは降ってくるものだし、湧いてくるものだと思っています。しかし、その幸運を見過ごしていたり、見ても気づかずにいたりして、“あなたのところに、来た幸運ですよ”と、呼びかけてもこれに気づかない人が、運を掴(つか)めずにいるということになります。皆さんも、ご承知のとおり“幸運の女神には、前髪しかない”ということですから、通り過ぎたら、その女神の運は決して掴めないのです。

 私が、幼少の頃より廻りから聞いた話しでは、当該人の一生のうちに「3度は、運をつかむチャンスがあるよ」というものでした。しかし、未だに運が向いてきたな、と意識できるような状況に至ったことはないようです。何度も見過ごして来たのでしょうし、女神の前髪を掴むチャンスにも手を差し伸べていなかったようです。

 ですから、用意周到に準備をして、虎視眈々(こしたんたん)とチャンスをうかがうことを諦(あきら)めない人が、チャンスをつかむことができるのだと理解しました。そして、その理解は結果的にも諦めの納得でもあったようです。これでは、運に見放されているとか、運を見過ごしていた、などと言ってはいけないようです。掲(けい)題(だい)の“セレンディピティ”は、偶然という名の降ってきた幸運です。日常において、他人や廻りに気を使い、他人のために一所懸命になれるか、滅私(めっし)奉公(ほうこう)のように自己を顧みないで他人に幸せを与えて上げられる人に、降臨するのでしょう。