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神様と共存したい場合について

 人は、時に神になりたいと願う時があります。これは、自己の固有の意思ではなく、他人が困っているときや、自己の能力ではどうにもならない事象であるときに、他力である「神がかり」を願うのですね。これは、真っ当な考え方であり、そうあってほしいと願うものです。

 人の営みの中では、どうにもならないこと、何もできないことへの無力感や絶望を味わいます。ですから、これが日常であることへの抗(あらが)えない、厳粛な事実であることを認めることになります。

 決して他人事ではないように思えます。いずれの場合でも、自分が神であったなら、こうしたい、ああしたい、などの安心立命の宿痾(しゅくあ)が宿っているようです。しかし、個人的に全くの私益とか固有の利益を求めているものであって、決して他者への優しさとか、他人への依存を求めているものではないのですから、神と共存したい時には、自己が神になれるように錯覚しているかもしれません。

 小さな出来事でも、廻りができないでいて、自己なら何とかなるような気配があるようでしたら、何ものをも置いて可能となるような行動形態であったと考えます。

 何ものをも恐れず、何事にもこだわらずに可能な行為態様が出来ましたら良いと感じていますので、神と共存したいと願うべきでしょうか。