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会話の必要性について

 一切の生き物や、私どもが生きている限り、必要な行為が『会話』なのでしょう。私自身が、全く上手にならない手法であることに恨みを持っているのですが、何度挑戦してもうまくならないのでイライラが嵩じています。これは、自分の内心に対することですので、最低限他人や廻りには気付かれないようにはしています。しかし、“人間の総合力が必要となる”会話に対しての無神経さが自分を追い込んでいるのだと考えますと、自己の人生のほとんどをやり過ぎしているのですが、『道』や『志』が未熟であることを痛感しています。

 自分にとって、他人との交わりや交際が何処で発展するのか、何処が違っていたから切れてしまったのかを知ることは、最も重要なことと思っています。これは、買い物でも、道を尋ねることでも同じなのでしょうが、最初の一歩を的が外れたばかりに、大きくずれてしまっていることに気付いていない、且つ大きな誤りを犯していることになるのでしょう。

 他の動植物でも「会話」をしているのでしょう。棲み分けを宜(よろ)しくして、自己の定位置を確保して生きながらえるのは本能でしょうから、他の動植物にできて私にできないことはないのでしょうが、野心とか欲望がある限り、眼が曇ってきてしまうのでしょう。身近な人からの反応を確かめながら、自己の位置確認をして存在感を認めてもらうことが良いのでしょう。