夫婦というのは、現に生活や行動を共にしている場合でも、別々に活動している場合でも、お互いの言動には干渉しないのが、安からな共同体となれると思っています。が、実際は100組100様というもので、概念的には“ゴリゴリしているうちに”、安楽な空間を現出するようになるのでしょうか。一度もケンカをしたことのない夫婦がいれば、毎日のようにケンカしていて廻りが別れることを薦めても、40年以上も一緒にいるというパターンもあります。
恋人同士とは違った特別の存在になり得るかどうかも関係するのでしょうが、“又聞き”ですが、3年もあればお互いの幼時からの話しも尽きるので、耐用年数とも一緒だという人もいます。当たっているかどうかは別に、お互いの感情を含めた親族関係も含めて知り得る限りの情報に接することへの興味・関心があるからということで、離れるかどうかは、『モチベーション』の多寡ではないかと考えるようになりました。
これも、真偽のほどは各組でないと分かりはしないのでしょうが、意外な部分を知って改めて焦がれたり、がっかりすることも、モチベーションの依ってきたるところです。
夫婦は、ケンカしても、でれでれしても、他人には無関係ですから、当人同士で好きにやってくれというところでしょうか。一つだけ変遷があるとしましたら、経済的状況で諦めるということが現実になったり、収入の状況で諦めざるを得ないケースもあります。婚姻の目的観とか、異性・同性への感情移入の問題で、複雑化してきているのでしょう。