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自己に期待するとは

 私は、“必要以上に野心を持つな”と言われて育ってきました。他の人はどうか知りませんが、私などは生き方がもう決まっていて、その他を望む事が不遜(ふそん)なことであるという意識を植え付けられて育ってきたのです。これは、親には特に嫌な生き方だったろうと記憶しています。親父は、自分が正当な跡取りでないという負の意識が抜けきらず、迷った20代を過ごしてきたようで、これがまた負の連鎖を醸(かも)し出していました。そのために、親父も、お袋も、子どもらに正邪(せいじゃ)以外のことについては、全く望んではいなかったようです(?)。あれになれとか、これをしろとか言われた記憶も無かったのです。私の生い立ちは、参考までに複数回出てきます。

 これが、後年どのように作用したかは結論が出ていませんので、分からないとしておきましょう。私にとっての“昭和”は、あまりいい気分のモノでもなく、又悪いものでもなかったような気がしています。結局、人は生まれながらに“天から賦与(ふよ)された器(うつわ)”以上のモノにはならないようで、決まった人生は俯瞰(ふかん)している“神”のみが十分知悉(ちしつ)しているようです。

 ですから、私が自己に期待するという観点から、物事を観るのではなくて、客観的な“眼”をもって自己に接していきませんと、一生涯何も分からないという結果になると思っています。

2023年11月現在、生を得た者は、必ず死を迎えるという厳然とした事実のみでしょうか。