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日本的美意識とは

 私なりに先輩から教わった『審美的(しんびてき)観照(かんしょう)』という言葉に、自分なりの思い入れを言ってみたいと思います。これは、昭和一桁世代早期の人が言っていた言葉ですが、私は寒村の出ですので、因習と因循(いんじゅん)のもとに道徳という名の習慣を植え付けられてきました。私は、全く持って嫌だったのですが、覆(くつがえ)すのに責められてばかりでした。確かに、100年・200年と変わらないことへの憧憬(しょうけい)はあるのだと思ってはいますが、これは人が作り上げた因習と因循(いんじゅん)です。世代や人が違いましたら、修正というより改革を優先していかなければならないと考える方が優先でしょう。これによって、叩かれ、廻りからも責められました。何が正しいかではなくて、現状を変えることへの恐懼(きょうく)でしょう。ですから、自分たちがしてきたことを覆(くつがえ)されることへの恐怖を、暴力と圧力での支配で覆(おお)ってしまおうなどは、あってはならない行為であったろうと考えます。対立行為は、改善ではありません、革新です。革新は、古いものを破壊するのが前提ですから、革命ではありません。この論理を正しく捉えませんと、間違った観念で後進を押さえつけることになります。新しい情報、新しい試みなどは試してみませんと、良いか悪いかも分かりません。これが、美意識を否定するとは決して思えないからです。日本的美の意識は絶えず古いものを新しいものと比較して作り上げてきたモノでしょう。これを蔑(ないがし)ろにする同調圧力には、抗(あらが)いませんといけないでしょう。