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神様が味方する人の習慣について

 よく「理屈では理解できないこと」が起こることがあります。これは、合理的に物事を考える人には理解がなかなか行かないような現象ですから、理屈を考える前に、幸せか不幸を考えるべきと思っています。

 昔の人は、「有為(うい)転変(てんぺん)」と言って、各人の人生には何があるか分からないと言っていました。緻密(ちみつ)に先を読んで、計画的に物事を運んでいる人でも、“まさか”という落とし穴があるようです。これに対処できませんと、当初からの目論見も何もなくなります。分かっていてそうであったとか、当初からこれも余分に考慮すべきであったとかと言っても、何も始まりません。ですから、あらゆる物事には「予想のつかない」出来事があるのだということにも視野に入れておきませんと、心の余裕がなくなります。心の余裕がなくなりますと、人に接するにも角が立って当たり散らしたり、言いがかりをつけたりして、更なる混迷を招きます。良いことが何もなくなりますから、『心の余裕』はどんなときにも取っておきませんと、自分の醜態(しゅうたい)をさらすという結果になることでしょう。禍福糾纆(かふくきゅうぼく)」と言い換えても良いでしょう。

 神様が味方する人には、“他人に優しいひと”ですね。過去の経験則が当て嵌(は)まっているかどうかは、一つ一つ検証したわけではありませんから、正確なところは分かりませんが、神様は面白いねとか、うーんいいだろ、というような可愛げのある人に微笑むことでしょう。