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友人という病はどういったものか

 私を含めた他の人たちも、友人の数を自慢するひとがいます。これ以外では、頼っていられる友人の数を、しばしば上げています。これはこれで、自分は一人ではないという心の支えにはなっているのでしょう。

 しかし、考えてみますに各自の日々の生活がそんなにも潤いが無く、荒んだモノであるとしたら、悲しくなってくるのではないでしょうか。仕事や趣味に充実した日々であったなら、何事においても、寂しさ、悲しさは心に入ってくる余裕はないのではないかと思えるのですが、ひとって我儘(わがまま)の極(きわ)みですから、何でも手に入り、何でも自由になることが、他の一切の生物よりも欲張りです。ですから、より幸せに、より豊かに、より満腹にという我儘が随所(ずいしょ)に見られます。これは、生物の中でもひとの生態が、突出して乱暴なだけの進化でしょう。

 こうしたなかでも、食衣住以外では、友人の数が自慢の人が沢山います。考えますに、一人でも頼れる人が居ましたら、余分にはいなくても十分な生活も、気持ちの潤いもあるのではと考えます。満ち足りることを知っていましたら、病気という病んだ心が生じる機会が無くて済むのでしょうが、もっともっと、これだけ?、後は?、などが無くても生活に支障は出ないのでしょう。が、不満や不足を覚えるところに、我儘の極みがあるのでしょう。“足(た)るを知(し)る”という晴耕雨読(せいこううどく)の満足感がありましたら、欲しがらないでも良いのではないでしょうか。