新社会人となって、夢や希望を胸に働き始めます。が、実際は入社試験で言われる様な綺麗ごとでは済まされないのが現実でしょう。嫌な事、したくない事、夢も希望も無い内容の業務。上司の命令でも嫌なことは嫌な事、と静かに退行して行く。結局は、5月病と言われたり、心身症と言われたり、うつ病とまで言われて、辞めざるを得ない人も出てきます。
昭和の護送船団方式では、生き残った者だけが、定年退職と言った栄誉を得られたのでしょう。楽しいこともあったかもしれません。苦しいことにも耐えきれたかもしれません。当たり前のようにして、定年退職を迎えた人にとっては、懐かしい、栄光の過去になるのでしょう。
しかし、実際は仕事自体に、面白みもやりがいもありませんでした。ただただ、“終える”という意識のみでやっていたような気がしています。それでも、30年、40年と遂行してきました。これは、栄誉でも栄光でもありません。結果だけです。
「仕事なんて、つまらなくて当たり前」。これが、徹底されていましたら、絶望も、悲哀も無いでしょう。そして、加えるなら給与という鼻先のニンジンでしょう。これが、各自をして先に進む原動力です。その先に30年、40年と言った年輪が重なるのです。昭和のサラリーマンは、決して暗い過去を晒(さら)しません。それが、いけないことと熟知しているからです。