結婚は、制度か当人同士の意思かは、意見の分かれるところだと考えます。何故か。昭和40年代の中ごろまでは、結婚が制度として認識されていたような気がします(⇒個人的見解です)。その後、女性の社会進出が多くなり、高学歴も手伝って、結婚という制度に揺らぎを迎えたと感じています。人が、人と接触するのは何も結婚という制度のみでなくて良くないかという意識が出てから。更には、同居は異性だけではなく、同性との生活もありえるという認識が広がって、世田谷や渋谷という区役所でも、パートナー証明という名に『準じた』証明書を出すようになって、更なる意識の飛躍が認められたのです。
ですから、寂しさを紛らわすだけでしたら、婚姻という制度に制約されることもないし、従来の結婚観から離れた離婚という手続きも簡略されつつある(⇒これは、個人の認識です)という現状から、進んで事実婚から同性婚という進展性も見られるようになりました。
一方、“若気の至り”とか言って、再度のチャレンジには、自分の目も肥えて、注意力も増し、間違いのない再婚ができるのではないかという意識も、芽生えてきたからです。
即ち、人生において1回きりの結婚で全てを断定するのではなく、再婚、再再婚というチャレンジもありうるのではないかというのが現実味を帯びています。議論の余地はあるのでしょうが、一考の余地のある考え方と実践ではあるしょう。