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幸せの感覚とは

 私どもは、自己の内心において「幸せ」と感じることと、廻りが「幸せそうね」というのとは、意識において全くの違い・へだたりがあります。それは、内心の感情がそれほど高揚感が無い時でも、廻りがはやし立てることがままあるからでしょう。こんな時は、本人は、嬉しくはないのでしょうが、廻りが囃(はや)し立てるからやむなく、同調圧力に屈しているのでしょうが、あまりいい状態とは言えないでしょう。

 本来でしたら、本人の内心と廻りが同一の状態で嬉しがったり、賛意を表したりと、同期しているのがベストなのでしょうから、このようにあるべきです。人は、何方(どなた)かが良い状態になりますと、その他の人が全て喜んでくれるかと言いますと、必ずしもと言うこともあります。これが集団性の崩壊を齎した今日的課題です- 聞く限り、縄文の昔には無かった現象だとか- が、大勢の人が同じ環境の中で暮らしても、全員の同意は得られないのでしょうから、『幸せの感覚』を他人に押し付けたり、同調を求めたりしてはいけないということになります。

 従いまして、幸せの感覚を味わうのに躊躇(ためら)いを感じましたら、大げさにしないという自己を律することを学ぶべきでしょう。これが、各人の自由という観念ですから。