人は、自己の伸びしろの意識を持つのが、何時でも恒常的に上位を目指したいと思い、逆に廻りからは、考えることが上昇志向と言われないようにし、その学びが何のためかを問われた時のみかもしれません。幾つになっても知的好奇心や、学びなおしを求める内心の事情には、出世とか栄達の他に何かを求めたいという向上心があるのではないでしょうか。
“幾つになっても”というのが「みそ」なのですが、偶然にも上昇志向と重なっている場合もあるかもしれません。ただ、最初から狙っての目的があってのことでしたら、廻りからも推奨されないでしょうし、何がしたいのかを先に言っていましたら、廻りも納得しているでしょうから、その学びに応援があるかも知れません。
ですから、従業員として当該部署にいることと関係ないことに対しても、興味・関心をもって、廻りをも巻き込む勢いで遂行しましたら、革命が起きるかもしれません。
但し、この“革命”とは、自らの心であって他人を巻き込むことではありません。従いまして、何処まで自分が伸びて行けるのかも自分の内奥の問題として捉えていくべきでしょう。
そして、自己に対する“無限の伸び”を与えることです。これが、囚われない思考であって、自由闊達な目的意識でもあるでしょう。柔軟に、且つ無限定な意識は、他人に遠慮したり、他人を慮(おもんぱか)ることではないでしょう。自意識を伸ばすことです。