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譲るということは、どういったことか

 大なり小なり、私自身の内なる考えがさせることで、「このくらい」とか「こんなこと」とかが、トラブルの種(もと)になることが多いものです。自分の中での「人との距離の取り方」は、飽くまでも自分一人の考えであって、廻りや他人はまた別の考えを持っているということです。正しいとか、正しくないということではなくて、各自が育った環境から何も考えずにしてきたことを否定されたりしますと、おかしいとか、何で、という風に考え込んでしまいます。

 ですから、こうした思考過程を経る分には、過誤を認める隙間はありません。咎められるほどの悪事でも無ければ、世間的な批判に晒される出来事でもないからでしょう。ですから、自分の方が譲るなどとの考えは出て来ません。相手や廻りが譲って当たりまえ、どうして自分の言っていることが分からないのかという、何時の間にか傲慢な考えが全てを覆います。

 これでは、何時まで経っても『譲(ゆずる)』という意識が芽生えて来ません。一例として、修行に励んでいる「僧」は一年中謝罪の訓練をしていながらも、末においても足りないということで釈迦に対して詫びるということを繰り返します。私は凡俗の徒ですから、意味がさっぱり分かりません。他人を出し抜いても自分が高みに出ることに無上の喜びを感じる人は別ですが、謙譲の美徳という言葉がありますように、譲ることで親しみや懐かしさを覚えることも大事です。