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若い時に自殺を試みるとは

 随分昔のこととなりますが、私は、高野悦子女史の「二十歳(にじゅっさい)の原点」という書籍を読んでみて、芥川龍之介太宰治などの感性の尖(とが)った人たちのことを想像していました。確かに、文学をする人たちは、“感性”が鋭く、他人の言に鋭く反応することを理解しています。

 しかし、これらが全て「死」へと繋がるのなら、何か已むに已まれない私生活が関係しているのだろうと考えてしまいます。そして、若い時には感じ過ぎて、どうにもならなかった自分を、年を重ねるに従って、何とも思わなくなることへの鈍感さが欲しくなったことも、覚えています。これらは、生きてみなければ分からないことですので、一様にとか、断定的には言えないのですが、先を見て生きるという単純なことも、ある時には必要なのかもしれません。

 そして、若い感性には鋭さや短慮も含まれているという事実も覚えなければならないと考えます。これらが、全てではないのでしょうが、一途に想い悩む事の良否も考えませんと、極端から極端へとブレてしまいます。これでは、結果に対する極論しか生まれないでしょう。

 そうではなくて、悩みが切れるとか、悩みが無くなるということがあり得たら、人生に豊かさを与えてくるかと言いますと、決してそんなことはないだろうと、行き着いてみて思いますので、結局“友達”がいたかどうかも重要な要素となるでしょう。敏感で、何にでも反応することが確かに文学性では良いのかもしれませんが、タフな精神も併せ持つことも大切なのではないかと考えています。既遂となりましたら、二度と味わえない人生の妙味(みょうみ)が味わえません。