経営者も従事者もともにどうぞ

お困りのことで、コンサルティングをお受け致します

言語化できる能力とは

 人には、それぞれの環境で自由な発想の出来る人と、これらを押さえつけられてきたがために、何も意思表示のできない人がいるという事実でしょう。思ったことをそのまま口に出しても、何ら弊害のない環境で育った人には、外圧は違和感そのものです。ですから、外圧に対して「?」しか出てこないのです。

 ですが、いろんな場面で色んな回答の出来るひとにとっては、自己の内心の発露ですから、声も質も内容も、それぞれに違った表現が出てきて当たり前です。これが、良いか悪いかはその場での雰囲気の問題です。言って良いことや言ってはならないことなどの、「場を弁(わきま)える」などは、集団性そのものですから、会議や場を取り仕切る人が“自由な発言”を求めても、出てくるものではないでしょう。これを意識していませんと、リーダーは目的が達成されません。

 この例に従って言いますと、集団性のある場での回答の仕方と、何時でも自由な発言のできる人と、場の雰囲気を読むのは長けていても発言に面白みのない人が出てくるのは避けられないでしょう。これが、集団性の無色・無臭性と、活発な行動力の出し方の違いに出てきます。

 抑圧された中での発言が、間違った方向に行くのは歴史の事実です。そして、誰も責任を取らないのが集団性の悪行(あくぎょう)です。これらを超えるためには、発言し、表現し、行動することでしょう。これが、言語化できる能力だと考えています。横にらみではない縦の線です。